メモ

近況、現況。

某日、その前日に小説を書き終えたぼくは本屋に行ってから適当な本を物色して、デパートの地下食品売り場で切らしていたオリーブオイルとトーストに塗るバターと幾つかのチーズと台所洗剤を買った。駐車場を出て駅前の混雑を抜けて市街地を走り出すと、突然…

生きてます

なんだかなにもかもが嫌で嫌で仕方がなくて、なにもかもに腹が立ったり、なにもかもに幻滅をおぼえたり、なにをやっても妙に退屈で、なにをしていてもストレスを感じるので、仕方が無く、本当はそのことも嫌で嫌で仕方がなくて、恥ずかしくて仕様がないのだ…

追記

二、三日経過してから読み直してみて、絶望的な気分になった。なにをどう、なおしていいのやら。文章の精度が途中から完全に落ちていて、確かにちょっと難儀して、ぐしゃって、書き散らしてしまったのだけれど、これは酷い。目も当てられん。一端消します。…

書くことと文学、純文学はどこに存在するのか。

ブログを書き始めてぼくはブログの強制力というものを知った。なにかを書かないと後ろめたいような、申し訳ないような気がしてくるのだ。書く。という行為は、おかしなもので、本当は主張したいことも、なにかを強烈に伝達したいわけでもないのに、誰にでも…

愛は駄文を救うか

愛というのは文章に対する愛ではなく、どうしようもない駄文を書いてしまった自分を擁護したい、自己愛で、駄文というのは、昨日の日記のような、どうしようもない文章だ。もう、ほんとうに、どうしようもなくて、情けない。感傷というものには、気をつけな…

なんでだろう/訂正のお詫び

モーツァルトの書簡をもういちど読み直したら、これはどうみてもすべてが意図的で、どうしてぼくは変に読み間違えていたのだろうと思い、すごい憂鬱で怖くなった。以上の異常、頭の故障を踏まえて、大幅に改竄しました。しかし、それにしても書いていること…

残り続ける印象/『モーツァルトの手紙』

書簡の探しものをしていたら、なんとモーツァルトの手紙がでてきて、読むとおもしろくて、まるで小説のようだった。はじめて読んだのだけれど、モーツァルトはなんておもしろい文章を書くのだろう。自意識過剰なところを諧謔的に書いているのがこれまたうま…

会話から人物の内面へ

例えばそれが日常の会話であっても、そこに様々な情報が含まれるわけだけれども、それを聞く側や、話す側はどこまで意識して聞いたり話したりしているのだろうか。会話というのは乱暴に限定せずにいってしまえば、当然言葉の羅列であるわけだけれども、その…

読み返してみて

汚い話しで恐縮なのだけれど、昼間吐いたあとに書いた日記を読み返してみて、しまりがないというか、だらだらとしていて、そのときの二日酔いの気分がそのまま文章になったみたいな日記をいま見て、呆れると共に、危険な言い方だと十分承知のうえなのだけれ…

ブログやっててよかった

アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人 / ジョルジョ・アガンベン 非常に興味深く拝読させていただいて、なにかをどうしてもコメントさせていただきたいような気持ちになったのですが、なにをどうコメントしていいのやらといった具合に、くらくらと…

冬に右脳検定

http://d.hatena.ne.jp/pulp_literature/20051113#p2記録所/Pulp Literatureさん経由で検定 http://passpal.co.jp/uno/brain-check.html 協調性と周囲にまったく関心なしのぼくはやはり社長にはなれないらしい。別になりたくないのに悲しいのはどうしてだろ…

派生するかも知れないし、派生しないかも知れない、ちょっとほんとにメモらしきもの。

なんの因果もなくだらだらと悪意や善意だけを抽出して描き出すことが、小説として成り立つのだろうかと、ぼくは今日ずっと考えていた。 その映像は高層ビルのアップからはじまる。8㎜フィルム。古い機材か、それともどこかしら故障しているらしく、映像の節…

猿ページ性交

Googleデスクトップをなにげにいれておいたら、消したのがサルページできたとさ。いやはや、すげええ!ちょっと感激!鼻水出そうだった!とりあえず、風邪気味なのである。そしてサルベージなのである。