そこにある物語が切ないのではなく、博士という記号が泣けるのである/小川洋子『博士の愛した数式』

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

 勘違いされやすいタイトルなので、先に触れておくと、博士は博士という記号であり、それを物語の中に導入したのは勿論作者である小川洋子であるが、この博士の愛した数式という小説が妙に泣けてしまうのは、小川洋子という作者がつくり出した『博士の愛した数式』という<小説=物語>に由来するのではなく、博士という登場人物が、泣ける要素としての単なる集積ではないかと思う訳です。
 理由や要因や原因はさておき、100%自分の感情を意のままに操るということは、社会や多数の中で生きていく上でほぼ無理なことであるでしょう。(ひょっとしたらひとりで生きていてもそうかも知れない)。例えばぼくは、近親者と性行為が出来ないし、それがたとえ写真であっても死体を見ると吐き気を催すし、デパートなどで子供の泣き声を聞くと気分が悪くなってくるし、なにかしらの障害を負った人間が困難に遭っていると思わず手助けたくなるし(実際助けるかどうかは別だ!)、年老いた人間の年老いた行動を見ると、ただそれだけで胸が切なくなってしまうことがある。それらの理由や要因や原因はさておき、実はある程度そういったパターンを熟知してしまえば、ひとを泣かせることは案外簡単なことではないかとぼくは思う。テレビドラマや映画は大抵そのような”泣ける”パターンの集積で成り立っている。(勿論ぼくにそれが出来るかどうかは、別問題だ)。

もっとも私を戸惑わせたのは、背広のあちらこちらにクリップで留められたメモ用紙の数々だった。それらは衿、袖口、ポケット。上着の裾、ズボンのベルト、ボタンホールなどなど考えつく限りの場所に貼り付いていた。

 結論から言ってしまえば、ボケ老人の悲哀という、ただそれだけでどうしようもなく泣けてしまうことを、巧妙に数学というセンチメントと廃したものと結びつけて、その癖それを利用して条件反射的に”泣かせる”、どうしようもない、”泣ける小説”のたぐいにしかこの小説はぼくには思えなかった。
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 ただそんなこと言いながらも、やはりぼくは最後の場面で、泣いたら負けだと思いながらも、思わず涙ぐんで鼻を鳴らしてしまうのだが、しかしそれにしたところで、江夏のカードを博士が誕生日に貰い、それを後生大事にするために肌身離さずしているという行動からぼくの感動はくるものではなく、老人が訳のわからないプラカードを首から下げている絵が、如何にもセンチメンタルで、物語=小説とは関係なしに、直截的に対して悲哀を与えてしまうものだからに、やはり過ぎないのではないかとぼくは思う。(若しくはその絵の悲愴感が強烈過ぎる)*1
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技術的なことを少々。
この小説を読んだ限りに於いて、小川洋子がうまい小説家であるとはぼくには思えなかった。自分自身の理想とする文体のパターンにかまける余り、本質的な流れのなかで、どこでどれを盛り上げ、どのようなものに対してレトリックを使うべきか、作者自身でしっかりと区切りをつけていないと思う*2。後半部分ではそのレトリックでさえ、定型的でただ五月蠅いだけの有り触れたものになってしまっているし(しかし逆にいうと、この紋切り型の美辞麗句はこの小説に本来つかわれるべきレトリックの姿かも知れない)
最後は明らかに、作者の狙いではなく、作者の失敗だろうとも思う。

素晴らしいパーティーだった。かつて自分が体験したうちで、最も心に残るパーティーだった。

とあるが、以後の物語の展開の中で、そのような印象を正直得ることは出来ないのではないかと思う。

<上記の続き>
豪華でもきらびやかでもいという点においては、母子寮の一室で迎えた一歳の誕生日や、二人だけの七五三や、お祖母さんと一緒のクリスマスと同じだった。もっともこうしたイベントをパーティーと呼ぶのが適切かどうかはよくわからないが、それでもなお、ルートの十一回目の誕生日が特別だったのは、やはり博士がいてくれたからだった。そしてその日が博士と過ごした最後の夜になってしまったからだ。

絶頂期からの墜落という展開で終わらせるはずが、(そうすることによって、多少物語の展開からの感動という、小説内のものが付与すべき感動を読者に与えられる余地はあったのだが……)絶頂期をうまく描けないまま、墜落という形になってしまって、落としどころを失った終わりのようなものになってしまったのではないかとぼくは思う。もしも形式としてそれが成功していたのなら、わざわざ最後に江夏というひとつの象徴だったものを持ち出して、それを描写して読後感を宙に浮かす(誤魔化す)必要は恐らく生じなかったのではないだろうか。

──背番号が見える。完全数、28。

小説として、このような足の付け所のない終わりや、大事な場面で挿入される割に、それに対しての執着になんの説明や物語もないのは、やはり全体としての、この小説をより一層弱いものとしているように思える。

*1:ちなみに蛇足ではあるが、ぼくがそういった直截的な感動を嫌うのは、ぼくがひねくれている、という解答は勿論認めるとして、それ以上にぼくは土足で自分の中を踏み荒らされたような、なにかを強要されたような気がしてしまうのだ。おまけにぼくはどういった訳かその手の感動に殊の外弱い……。

*2:明らかに村上春樹のコピーだが、その点は本家とは雲泥の差がある

近況、現況。

 某日、その前日に小説を書き終えたぼくは本屋に行ってから適当な本を物色して、デパートの地下食品売り場で切らしていたオリーブオイルとトーストに塗るバターと幾つかのチーズと台所洗剤を買った。駐車場を出て駅前の混雑を抜けて市街地を走り出すと、突然自分のどこかでなにかが浮ついているような感じに気付いた。車間に合わせてわざわざアクセルを踏んでいられないような、ハンドルを動かさずにじっと握っていることが、どうにもじれったいような感覚がどこかにあった。いつもの休日と変わらない行き先や、いつもと変わり映えしない白いビニール袋の中身が、なんだか酷く許せないような気がした。どこかに出掛けなければならないということはわかるのだが、どこにも出掛けたらいいのか目的地が浮かばない。
 圧倒的な開放感を自分が感じているのだと気が付いたのは、やはりいつもようにリカーショップに行ってワインセラーの冷んやりとした空気に触れてからのことだったが、苦笑いをしながらシャンパンのボトルを持ってレジに並んだ以外は、その日ぼくはなにもせず、どこにも行かなかった。
 例えば誰かを誘って食事に出掛けるとか、意味もなく贅沢な食材を買い揃えて、普段なら罪悪感を感じるほどの赤ワインを三本くらい開けてみるとか、真夜中過ぎにで車を走らせて暗い波止場で灯台の灯りを眺めながら助手席の子を口説いてみるとか、やろうと思えば、普段とは違い、幾らでも特別なことはありそうだったが、その日は自分一人でじっと家で過ごさなければならないと思った。
 書き終えたばかりの小説から、なにかしらの手掛かりや、手応えのようなものを感じていることは否定出来なかったが、その余韻にひとりで酔いしれたかったり、それについて実際的な検討をひとりでしてみたいと思った訳でもなかった。
 誰かと偶然出会ったり、外でお酒でも飲んでしまえば、多分ぼくは、
「昨日小説を書き終えた」
 ということを誰彼に口にしてしまって、──それがぼくにはとても恥ずかしいことに思えた。小説を書くことが恥ずかしいのではなく、評価のいまだ定まっていない小説を書いている自分を喋る自分が現段階で悔しく、恥ずかしいと思った。
 ”夢を見る”という言葉に肯定的な意味を見出せなくなった時期は具体的におぼえていないし、”夢を見る”という言葉の中に否定的なニュアンスを見つけ出してしまった切っ掛けも未だによくわからない。夢を語ることの無邪気さに嫌悪をおぼえるのも、未だに正しいことかどうなのか、突き詰めて問い詰められれば、正直ぼくには答えられない。
 ただしぼくは、”夢を見る”それだけの中には何もないのだということは、はっきりと言っておきたい。特に自分自身に。ぼくが”夢を語る”ことの中にいつでも見てしまうのは、それを語ること自体になにかしらのカタルシスや評価を求めることや、例え叶わなくとも”夢を見る”それだけで素晴らしいという考え方だ。
”小説を書き終えた”それだけで素晴らしいではないか。少なくともぼくには、そういう評価や慰め合いは必要ないと思った。小説はひとりで書くことが出来る。凄く当たり前のことだ。小説を書いていて、これほど強く思ったことはなかった。そして書き終えてから、ぼくははじめて、自分に真剣になにかしらの小説についての肩書きが欲しいと思った。なにかしらの肩書きが付けば、多分、恐らく、ぼくは小説とについて照れや衒いもなく、話しが出来るような気がする。
 シャンパンと買い置きのコニャックで酔った翌日からまた、新たな小説をぼくは書き始めている。
 
追伸
”文学”という言葉を見かけると、その言葉の遣われかたに最近妙に嫌な感じをおぼえることが多いが、それは多分上の後半で書いたことと同じなのか、と自己問答している。

結婚と恋愛は既に手段でしかない/『情愛』

情愛 [DVD]
 そんなことしている場合ではないのに、ついつい薦められたので観てしまった。無料でPCで観れるとはいえ、つまらなかったら途中で辞めようとも思っていたが、最後まで観て関心してしまった。韓国のことでもあるし、例のブームの際にほとんどドラマや映画も観たこともないので、”以前では”という区切りをぼくは年代的に引くことはできないのだけれど、以前ではこういった映画は韓国でも日本でも成り立たなかったのではないかと思った。いや、そもそもそういった着想自体が以前では存在しなかっただろう。
 詳しい年代特定やそれに応じての呼称など、ぼくにはよくわからないが、以前というものが一体なにを指すのかと言うことなら一応できる。

「未だ結婚というものが確固とした価値をその言葉に内包していて、結婚という制度が未来や希望や疑いようのない生活上の基盤をあらわしていた時代」「恋愛というもののひとつの終着点が結婚というものだと信じられていた時代」「恋愛というものが誰にとっても価値を持っていた時代」

──こう何度も時代時代と書くと、なんだか遠い昔のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思えるし、ぼく個人だけで、未だに多くの人はそう思っているのかも知れないともなんだかぼくは自分を疑ってしまうのだが、それはともかく、──少なくともそのような価値観が既に崩壊していることをこの映画はうまくあらわしていると思って、感心してしまった。
 満たされない状態というのは言うまでもなく辛い状態をあらわす。こういうことを考えて、こういうことを言う人もいる。

「なにによって満たされないのか、なにが不足していて満たされないのか、それがわかっているということは、わからない状態よりもマシなことだろう」

 それは確かだが、わからないことよりも、わかっている方が辛い場合が時としてあるということもあるということも忘れてはならないだろう。つまり、わかっているからなにもしたくない状態や、結果がわかりきっているからなにかをやっても無駄だと思っている状況が、数多くあるということだ。──ちなみにそのような場合に、「やってみなければわからない」というような言葉は恋愛や結婚という言葉と同様最早きちんとした認識を備えた人間の前では有効ではない。「やってみなければわからない」という言葉はごまかしによって成立しているからだ。「そんなに悩んでないで恋でもしろよ」「結婚すればすべてが変わるよ」という言葉と同様に、そこにはごまかしという方法を薦める解決で成立している。「やってみなければわからない」という言葉には、本来それ故に悩んでいた物事の成否よりもその行動自体に価値がシフトするというごまかしがあり、無計画で無鉄砲な価値観ほどもてはやされるという傾向がある。また、それにより失敗したものを、誰かが必ず暖かく迎えてくれ、また時には励ましてくれ、あるいはある種の共同体が、その失敗者を成功者よりも丁重に庇護してくれるだろうという認識があり、ごまかしがある。それらが、ごまかしになってしまったのはある種の人々にとっては残念なことなのかも知れないが、最早それが有効ではないということはきちんと認識しなければならない。現在では、無計画で無鉄砲な人間は単なる馬鹿だと言われてしまう。ちなみに有効ということは、それを疑ったり、それに価値があると誰しもが思ったり、そんなものに価値はない、などと言う人間がほとんどいなかった時代ということだ。勿論どちらが価値があり、幸せな時代であったかなどということは別のことである。

 閑話休題。多くの社会モデルに、多くのごまかしがあることが露見してしまった”以前ではない”現代という時代に、満たされないものを満たすことは簡単ではない。ひとつの困難な例でいえば、「満たされないことがわかってしまう故に、それによりまた別の満たされないなにかが発生してしまう」こともある。この映画に大きなアイロニーと、悲劇と、わかっているもののはっきりとさせられなかった着眼点があるとすれば、それらの満たされないものに対して、今現在には満たすべき明確なものが、現実のモデルの中にはまったくないということがきちんとバックボーンとして備わっていることだ(この映画では既婚者の誰もがまったく幸せそうではないといった背景が結婚のモデル=自分が結婚したときの未来、としてあらわれている)。そういった状態にある時に、生活の中でなにかを満たそうと思えば、未だに結婚や恋愛というものと戯れるか、手段として頼るしかないという喜劇的で悲劇的な現実が剥き出しになっているのがこの映画なのだった。それ故この映画は基本的にねちねちとして煮え切らない場面が続く。だがそれらの中にあって、恋愛と結婚は最早希望に支えられたものではなく、冷淡な諦観に見定められた底や将来が見えてしまっている手段でしかないということがきちんと主人公ふたりの価値観としてあらわれている。結局いつまでも煮え切らないという行動をふたりが繰り返し、男が距離をとり続けるのは、それに絡め取られて、見え透いた将来に行き着いてしまわない為だし、女が男を誰よりも大切だといいつつ結婚相手と別れないのは、別れることに寄って手放さなければならいものが、自分にとって自分を成り立たせる為に必要なものだとわかっているし、男との生活ではそれらは手には入らないとわかっているから、週末婚という仮想であり続けたいのだ。それしか方法がふたりには見つからない。彼らの世界にあって勇気とは、愚かと同義なのだ。
 ちなみに恋愛と結婚が至上とされる勇気溢れる世界では、ふたりの接近とふたりの結合によりすべての問題がクリアされて終わりだっただろう。つまりこの映画は”以前では”成り立たなかったことになる。(ちなみにそういった映画では、その結ばれた後のふたりの生活が語られたり、想像されることはほとんどないということを忘れてはならない)

 出来の方はと言えば、多くの突っ込みどころがあるし、甘ったるくて観てられない場面や、ノスタルジックな価値観に従って撮られた映像が多いのだけれど(喧嘩をして投げつけた箸が灰皿の上でスローモーションで跳ねあがるというシーンなどセンスとして最悪だと思う)、そういった細部よりも、それらの背景というものをきちんと把握して、そういった人々が存在していることを映した映画もあるのだと、ぼくは思いの外、この映画に好感を持ってしまった。
 ちなみにこの映画でいう”写真”とは現実という場面では決して叶うことのない世界なのだ。

ちなみに以下のサイトの”映画”で無料で観れます。但しこの映画に関しては6/25(日)までらしい。
http://www.gyao.jp/

乱文にて失礼。

生きてます

 なんだかなにもかもが嫌で嫌で仕方がなくて、なにもかもに腹が立ったり、なにもかもに幻滅をおぼえたり、なにをやっても妙に退屈で、なにをしていてもストレスを感じるので、仕方が無く、本当はそのことも嫌で嫌で仕方がなくて、恥ずかしくて仕様がないのだけれど小説を書くことにしました。書くと決めたら放り出したり、読み手の意識に甘えて折り合って妥協したくもないので、それだけに集中します。そういう傾向にだけは傾きたくないことが今は自分で大事だと思うのです。誠に勝手ながら停止するわけではなく、凄く不定期な更新になります。ご報告遅れて申し訳ありません。

書き手の文学

個性などと言うフレームワークはそろそろ潰してしまう

問題は、そうした「面白みの無い存在」としての、つまり理念として演じられる自己や自我というのに則って物を考えたり書いたりするのは、ひどく簡単だということだ。ある書式を覚えこみ、それに適合する話題とロジックが一通りそろってしまえば、その後にやってくるのはわずかな文節の差異しか持たない、本質的には何一つとして違っていない、堂々巡りの同じ思考。しかし、読んでいる者はとにかくも、書いているものには、そこに費やした無駄な熱量の分だけ、何かが進歩したような気分だけはもたらされる。具合の悪いことに、手管が簡略化され、より効率的になればなるほど、脳味噌は死んでいくにも関わらず、「何かいいものが書けた」という変な満足感が生まれてしまう。多分、「筆が乗る」というのは、そういう状況を指している。乗っているときの筆は、僕ら自身の腕が動かしている筆ではない。
http://anotherorphan.com/2006/04/post_244.html

 いつも色々と触発されて、いつも糞長いコメントを書いて、いつも迷惑をかけてしまうので、こちらに。時間がないのですこし乱雑ですが。
 文学の定義。
 などというと、大事で大袈裟になってしまうが、仮にその『文学』という、なにかのお守りや、果ては書き手の言い訳に過ぎないなどと叱られがちなものを、便宜的に或カテゴリーを指す言葉として、文学である小説/文学ではない小説、というものにわけるとするならば、──ぼく自身はそのようなものにカテゴライズすることを賛成するということをまず明らかにしておくべきでしょうし、ぼくは文学は存在すると思っている人間です──その際に、参照する項目というのは、大まかに言えばぼくは『逸脱』というものだといまは思うのです。(勿論これはぼくの個人的なカテゴリーの仕方で、そもそも文学など存在しないという方もいるでしょう)
 ここで言う逸脱とは、あるひとつのシステム──それは例えば道徳であったり、倫理であったり、社会的に模範的な類型であったり、既存の小説であったりする訳ですが、重要なのは何故そのような逸脱が文学たり得るのか、その問いの形を変えれば、なぜ文学にはそのような逸脱が必要であるのか。ということでしょうが、
 ──「その問い自体を、問うという行為が文学である」
 などという答えもあるかと思いますが、翻って、ぼくがこの場で大事にしたいのは、『書く側』にとって、文学とはなんであるのかということで、もう少し実績的にいえば、それは書く側にとってどのように分け入っていくべきなのか、いま自分で書いているものは、どの茂みを掻き分けているものなのか、山なのか海なのか。まずはそこからはじまるべきものなのでしょう。(大略)
 結論から言ってしまえば、
 逸脱したものをしか書けないか/逸脱しないものしか書けないか
 すべてがこの問題でしかないといまぼくは思っています。
 
 (大略)した部分を言えば、勿論、そこに優劣は存在しないし、苦痛などというレベルで比べるべきものでもないでしょう。逸脱しない必然性は作家個人の倫理や道徳や問題意識や理念に支えられているのだろうし、逆に逸脱してしまう必然性は、作家個人の含羞や疑念や問題意識といったものに支えられているのだろうけれども(勿論そればかりではない)

きょう、ママンが死んだ。もしかすると昨日かも知れないが、わたしにはわからない。

まさしく五月、いとしい五月! 深々と息を吸い込めば、ここではなくどこかの空の下、木立の上、遠い郊外の野原や森に、罪深く弱い人間には思いも及ばぬ春の生活が、神秘的で美しく、豊かで清らかな生活が今や繰り広げられているのだと思いたくなる。そしてなぜか泣きたくなるのだった。

1996年の、春だった。
その日、3年になって最初の一斉テストが終わった。ぼくの、テストの出来は最悪だった。一年、二年、三年と、ぼくの成績は圧倒的に下降しつつあった。理由はいろいろある。両親の離婚、弟の不意の自殺、ぼく自身がニーチェに傾倒したこと、祖母が不治の病にかかっていたこと、というのは全部嘘で、単純に勉強が嫌いになっただけだ。

 その逸脱が、その個人にとって、本当に必然的な逸脱であるのか、その個人がまさにそこに描かんとしているものに必要なための逸脱であるのか、それを確認しながら未知の道(逸脱の先は未知)へ分け入っていくことが、文学ではないのか。ぼくはいまそう思っているのです。*1
 そしてぼくが小説を読んでいて胸をときめかすのはそのような逸脱が生じた瞬間だと自分で思うのだ。

*1:そしてそれは文体という最小のレベルで、既に起こっているのではないかとも思っての引用。勿論ここには逸脱した先のことをコントロールする力というものが必要でしょうし、逸脱がある種のひとつの必然=纏まり※を持たなければ、それは小説として、弱いものになってしまうでしょう。いや、小説にすらならないでしょう。そしてその逸脱した先が既存のなにかの媒体であれば、それは文学である必要はないし、文学と呼ぶ必要もない。そしてそこで、行き詰まって交錯してしまってはじめて、オリジナリティーとか才能の問題がでてくるのだろうし、直喩的に中心のなさを問うて嘆くことや、自分には書くことがない。という思索の終点が、ぼくには既に定型化してしまったパフォーマンスやクリシェや都合が良い(これさえ言っておけば文学になるというオチ)言い訳にしか、喩え本当にそう思っていても、もう思えないのです。なんだか手厳しいけど、そういうものが読みたいといひとりの小説好きの意見です。そして、多分そういった方向に今の文学という方向がススムのではないかという楽観的、希望的、予感のようなものがぼくにはなぜだかするのです。一種の反動として。※例えばその登場人物の無意識や説明は出来ないが必然だと思える行動様式を支えるものといったような入れ物で

小説の精度と作者の狡さ/中上紀『ニナンサン』藤野千夜『ネバーランド』

  またまた先月号の話しで恐縮なのだけれど(いつも読み終わるのが遅いのです)、新潮4月号を読み終わった。チェーホフ未邦訳短編短編が載るということで楽しみにしていたのだけれど、所謂チェホンテ時代の売文小説ばかりで少々がっかりした。それはともかく、読みどころが余りにもなくて、びっくりした。余りにびっくりして、なぜだか暗い気持ちになったのだけれど、一番はじめの中上紀の小説からして、ちょっと酷いではないかと思った。説明を付け加えるならば中上紀というのはケンジ氏の娘なのだけれど、小説を書くという段階にまで、至ってないのではないかとぼくは単純に思ってしまった。なにが至っていないのかというと、小説家として、(そしてこのひとの場合には否応なくケンジ氏の娘として)自分がどのような小説を書くべきか、または自分がどのような人間を小説の中に描くべきかというものが、まったく見えていなくて、ただ文学というものの軌跡を追いかけて、なぞっているような文章(小説ではない)ではないかと読んでいて思った。以下にこの人が書いたエッセイがあるのだけれど(http://www31.ocn.ne.jp/~nakagami/menu.html旅の部屋から)、それと同じで、ただページを埋めるためだけに積み上げられたエピソードが、漫然と面白さというか、特徴すらまったくわからないままに積み上げられていて、そういう意識のなさがあってだと思うが、どこかケンジ氏を真似たような朴訥とした言い回しが、見事に空回りしていて、なんだか地に足が着いていない文学を真似た文章みたいで、小説としての心地が大変悪い。
http://book.shinchosha.co.jp/shincho/200604/nakagami_nori.htm
子宮から悲鳴など、今時の小説であり得るのだろうかとぎょっとしてしまった。自分の書くべきものをもっと深く考えるべきではないか、そして、もう少し小説というものについて考えを巡らせるべきではないか、とぼくは思ったのだが、そのあとの藤野千夜の『ネバーランド』を読んで、ある種の狡さを感じてしまった。ぼくが記憶する限りでは、この種の狡さというか、違う言葉で言えば「技巧」が広まったのが、Mハルキ以降だと思うのだけれど、なぜ以降なのかというと、Mハルキ氏が使いだしたからで、主張や空洞化した単語(主に地名)をぽんと小説の中に言葉(単語)として放り込んでしまって、放り込んだもののある種の小説家としての含羞からか、それともちょっとしたアクセントだということか、そのあと知らぬ存ぜぬで、最後までやり過ごして、結局はその放り込まれた言葉の周辺を彷徨いながらも、そこには辿り着かないというものだが。
(ここは実に着目すべきおもしろいことで、主題に辿り着けない、若しくは着かないという決意や、悪くいえばごまかし、だが、それだからこそ、その主題自身を単語として放り込むという手法が、その小説内でとられている筈なのだが、その辿り着けなさこそが、ある種の醍醐味というような倒錯がその単語を無視、若しくはあたかもそれを見なかったかのような振るまい、或いは推理小説の犯人を知っているのに知らないふりをして共犯関係として読むようにすると起こる。しかしそも考えてみれば、その言葉を放り込んだ時点で、その小説はもう追いつめるべき核(例、主題・フィナーレ)を失ってしまって、ただその周辺の断片群を如何にセンスよく、読者の気を惹きつけたまま、されども解決されることなく語り得るかということしか意義が存在せず(しかもやろうと思えば延々と語り続けられる)、けれどもどうしてもというのなら小説内のフィクションを更に逸脱した架空の終わりを用意されることでしか、フィナーレはやってこないのだが、それは作者の苦渋などではなく、作者のとった手法として単に当然の帰結なのだ。小説を立体的に立ち上げることの放棄とでもいえばいいのか、──ちなみにぼくはもうそろそろその手法に飽き飽きしている)
ちょっといいたいことと違ったけれど、大半を上記でいってしまったような気がするので、以下抜粋。

誰かの提案には真っ先に反応して、いいねそれいいね、とギャル男のように騒いでいつの間にかグループの中心みたいな顔つきとなり、帰ろうとするものを引き留めたり見送ったり、もう友だちだねとお調子ものの女にいわれれば大きくうなずき、夜更け近くにお手洗いに立つと、いきなり下半身剥き出しで戻ってきた。
「あ、いけない、ズボンをはきわすれた」
 とまたトイレに向かったら、全員相談のうえ一応警察沙汰にはしなかったけれど、もちろんすぐに帰ってもらって、以来出禁。その教授から翌週届いたお礼のハガキには、嗚呼、S町のネバーランドに乾杯、と書いてあった。
 それからここは、ときどきそう呼ばれている。
 S街のネバーランド
 ピーターパンが連れいってくれるという、あの子供のための国。
ネバーランド』より

 この『ネバーランド』だけで、この小説になにが書かれているのか、この小説のすべてを読まなくても、なにかがわかってしまって(ああ、また例のニート小説ですかというような)、最後まで読む意義(小説としての存在意義)に疑問が沸くことはないだろうか?

熟れた桃

(『春の桜』の続き)
  先日ファミリーレストランで、上田さんに会ったとき、ぼくが無視をしたのは、上田さんのことが特に嫌いだったからではありません。そのときは特に、誰とも話したくなかったのです。誰の顔も見たくもない気分でした。誰とも話したくはない。という割に、あのときおまえは、ひとりではなかったではないか、──いや、上田さんなら、もっと人当たりがよく、柔らかい言葉を遣うかも知れませんが、あれは仕方がなかったのです。そもそもファミリーレストランという場所を、ぼくは余り好ましく思いませんが、それはなおさら、言い訳がましくなるので、いまは言わない方がいいかも知れません。
 先日、ぼくは酔っていました。そして上田さんも、どうやら、酔っていたようです。ファミリーレストランで、グラタンを食べ、ビールをひとりで飲んでいる女と、余り話したくもない気がしましたが、それが上田さんだったからだという訳ではありません。
 どちらが先に気付いたのか、厳密に言わなくとも、上田さんが先です。食べ終わったぼくが連れと歩いている途中、ふと顔を上げた上田さんが、話しかけてきました。上田さんは化粧をしていて、相変わらずの優等生のような記憶力に、ぼくは怖くなりました。十年以上顔を合わせていないはずです。上田さんとは、眼を合わせたくない感じがしました。昔のことを思い出すからです。もうし訳なさ、というのは、時間を隔てても、そっくりそのまま去来してくるようです。
 上田さんが、ぼくの名前を口にして、自分の名前を口にましたが、ぼくはわざと首を傾げて、レジに並びました。連れが隣で、いつまでも気にしているので、二度と口をきかない。と十分前に通告した筈でしたが、車のなかで、おべっかなどを言いました。
 小学一年の頃、ぼくは大藪(仮名)くんと、杉本(仮名)くんと、佐々木(仮名)くんと、それから上田さんと、よく遊んでいました。それから、と上田さんに付けたのは、いつでも上田さんと遊ぶときは、ふたりだったからです。家が隣でも、女の子とふたりで遊ぶと、冷やかされたり、軽蔑されたりしました。人間関係というのは、幼い頃から既に、複雑であります。
 大藪くんと、杉本くんと、佐々木くんとは、川でなにも持たずによく遊びました。上田さんとはよく魚釣りをしました。家のまわりには、川ばかりがあり、いいえ、川しかなかった、といえるかも知れません。あんなところに住んでいたと思うと、どうしてか、なにかに騙されていたような気がします。川は、河川敷があるような川ではなく、どれもが、もっとちいさく、もっとワイルドな感じがする川でした。背丈ほどの草を掻き分けて傾斜を降りると、唐突に音を立てて流れているような川です。深さはそれほどではないものの、尖った岩が多く、流れはかなり速かったです。
 岩と岩の間にそれを見つけたのは、いまのような生暖かい季節ではなく、射すような日射しの夏でした。その日は大藪くんと、杉本くんと、佐々木くんと遊んでおり、はじめに見つけたのは、佐々木くんでした。子供にとって、いちばんはじめは、なにごとにも栄えがたい勲章であります。とても自然な流れから、その浮いていた死体は、佐々木くんが所有することになったのですが、流石に人間の遺体でもなく(人間であったのなら、どれだけ文学的価値が高かったことでしょうか!)、単なる膨れた犬の死体ですから、名前をつけたり、山奥の小屋に隠したりはしませんでした。やることといえば、岸までちいさな石や木の枝だけを使って、如何に引き上げるかということで、成功すると、急に手持ち無沙汰になって、落ちていたビニールを使って怠惰に裏返したり、木の枝を身体に挿したりしました。退屈で、流石にそれはすぐに飽きてしまいました。どこかに埋めよう、と佐々木くんが言い出しましたが、クサイし面倒、と大藪くんが言うので、川に流して、シュークリームとアイスバーを食べにぼくの家に行き、出たばかりのファミコンをやりに大藪くんの家に行きました。
 翌週は上田さんと遊びました。上田さんは学級委員をやっていて、人当たりも良く、色々なものを奢ってくれ、釣った魚も逃がしてやるような、やさしいひとでした。上田さんとは幼稚園から一緒でしたから、ぼくはなるべく内緒で、隔週ごとに遊んでいました。
 なんでも、上田さんが、新しく発見したという、釣り場にその日は行きました。途中で上田さんが、今日は暑いね、とぼくが言うと、百円もするカップアイスを奢ってくれたのを、どうしてか、よく覚えています。新しい釣り場は、先週とはまったく違う支流の、かなり下流にありました。見える魚は釣れない、というのが上田さんの金言でしたから、そこには当然、泳いでいる魚は見あたらず、流れも淀んだような場所でしたが、とてもよく釣れました。
 ぼくが、突然怖くなったのは、上田さんがおしっこをするといって、藪のなかに行き、ひとりになったときでした。どこからともなく、あの犬の死骸のにおいがしたのです。川面を隅から隅まで見渡すと、ぼくはとても岩の上などに座っていられず、立ち上がって、藪のなかを、歩き回ったのですが、どこにも死骸はありませんでした。上田さんが戻ってくると、すぐに臭いは消えてしまいました。
 次にその臭いを感じたのは、次にぼくが小便をしに行っているときで、怖くなって駆け足で戻り、釣り竿を上げていた上田さんに話すと、上田さんは手に持っていた練り餌を、ちいさく丸め、照れ臭そうに、それをぼくの鼻先に持ってきて、これじゃない? と言いましたが、それは、まるで違う臭いでした。
 その夜は、寝ようとしても、うまく眠れません。何度も寝返りを打ち、怖くてトイレにも行けず、うとうとしかけた頃に、お勝手の冷蔵庫が低いうなり声をあげるので、無性に腹が立ちました。網戸越しに空を見たとき、また突然、恐ろしくなって、口のなかで糸を引くような、皮膚の上を這うような、あのにおいが蘇ってきました。真っ白い月が、低い唸り声をあげ、こちらを見ているような気がしました。眼を閉じるたびに浮かぶ犬の死骸は、豚のように膨れ、熟れた桃のように、太股や脇腹が捲れていました。剥き出しになった歯茎は色もなく、牙だけが鋭く、黄色く濁っていました。眼の周りは落ち窪んで、耳の下から白い頭蓋が見えました。死骸はすさまじいにおいがしていたのです。翌朝、生まれてはじめて、ぼくは朝食になにも手を付けませんでした。
 上田さんは、その後も一週間おきにぼくを誘ってきたのですが、ぼくはそのたびに無視をしました。まったく無視をしました。どうしてか無性に腹が立つのです。人なつっこい笑顔で、話しかけてくるたび、腹が立つのです。みんなと話しているのを見ると、余計に、腹が立ちます。思い出してみれば、練り餌をひとの鼻に近づけ、これじゃない? などというのは、失礼極まりなく、馬鹿にされたような気がしました。そもそも、なんで、照れ臭そうに、ちいさく丸めるのか、まったく訳もわかりません。幾ら無視をしても、笑顔で誘ってくる上田さんが、ぼくは憎らしくて、靴箱に画鋲や、生きたザリガニを入れたり、上田さんが大嫌いと言っていた大藪くんのことを、上田さんが好きだとふれまわったりもしました。ですが、上田さんは、すこしも懲りた様子もなく、三年生になってクラスが替わるまで、笑顔で、ぼくのことを誘ってきました。
 上田さんの笑顔は、先日思い出せませんでした。特に笑っていなかったからです。色々と他にも謝りたいことが、あるような気もしますが、上田さんのことは、この辺で終わりにしたいと思います。

(了)