熟れた桃

(『春の桜』の続き)
  先日ファミリーレストランで、上田さんに会ったとき、ぼくが無視をしたのは、上田さんのことが特に嫌いだったからではありません。そのときは特に、誰とも話したくなかったのです。誰の顔も見たくもない気分でした。誰とも話したくはない。という割に、あのときおまえは、ひとりではなかったではないか、──いや、上田さんなら、もっと人当たりがよく、柔らかい言葉を遣うかも知れませんが、あれは仕方がなかったのです。そもそもファミリーレストランという場所を、ぼくは余り好ましく思いませんが、それはなおさら、言い訳がましくなるので、いまは言わない方がいいかも知れません。
 先日、ぼくは酔っていました。そして上田さんも、どうやら、酔っていたようです。ファミリーレストランで、グラタンを食べ、ビールをひとりで飲んでいる女と、余り話したくもない気がしましたが、それが上田さんだったからだという訳ではありません。
 どちらが先に気付いたのか、厳密に言わなくとも、上田さんが先です。食べ終わったぼくが連れと歩いている途中、ふと顔を上げた上田さんが、話しかけてきました。上田さんは化粧をしていて、相変わらずの優等生のような記憶力に、ぼくは怖くなりました。十年以上顔を合わせていないはずです。上田さんとは、眼を合わせたくない感じがしました。昔のことを思い出すからです。もうし訳なさ、というのは、時間を隔てても、そっくりそのまま去来してくるようです。
 上田さんが、ぼくの名前を口にして、自分の名前を口にましたが、ぼくはわざと首を傾げて、レジに並びました。連れが隣で、いつまでも気にしているので、二度と口をきかない。と十分前に通告した筈でしたが、車のなかで、おべっかなどを言いました。
 小学一年の頃、ぼくは大藪(仮名)くんと、杉本(仮名)くんと、佐々木(仮名)くんと、それから上田さんと、よく遊んでいました。それから、と上田さんに付けたのは、いつでも上田さんと遊ぶときは、ふたりだったからです。家が隣でも、女の子とふたりで遊ぶと、冷やかされたり、軽蔑されたりしました。人間関係というのは、幼い頃から既に、複雑であります。
 大藪くんと、杉本くんと、佐々木くんとは、川でなにも持たずによく遊びました。上田さんとはよく魚釣りをしました。家のまわりには、川ばかりがあり、いいえ、川しかなかった、といえるかも知れません。あんなところに住んでいたと思うと、どうしてか、なにかに騙されていたような気がします。川は、河川敷があるような川ではなく、どれもが、もっとちいさく、もっとワイルドな感じがする川でした。背丈ほどの草を掻き分けて傾斜を降りると、唐突に音を立てて流れているような川です。深さはそれほどではないものの、尖った岩が多く、流れはかなり速かったです。
 岩と岩の間にそれを見つけたのは、いまのような生暖かい季節ではなく、射すような日射しの夏でした。その日は大藪くんと、杉本くんと、佐々木くんと遊んでおり、はじめに見つけたのは、佐々木くんでした。子供にとって、いちばんはじめは、なにごとにも栄えがたい勲章であります。とても自然な流れから、その浮いていた死体は、佐々木くんが所有することになったのですが、流石に人間の遺体でもなく(人間であったのなら、どれだけ文学的価値が高かったことでしょうか!)、単なる膨れた犬の死体ですから、名前をつけたり、山奥の小屋に隠したりはしませんでした。やることといえば、岸までちいさな石や木の枝だけを使って、如何に引き上げるかということで、成功すると、急に手持ち無沙汰になって、落ちていたビニールを使って怠惰に裏返したり、木の枝を身体に挿したりしました。退屈で、流石にそれはすぐに飽きてしまいました。どこかに埋めよう、と佐々木くんが言い出しましたが、クサイし面倒、と大藪くんが言うので、川に流して、シュークリームとアイスバーを食べにぼくの家に行き、出たばかりのファミコンをやりに大藪くんの家に行きました。
 翌週は上田さんと遊びました。上田さんは学級委員をやっていて、人当たりも良く、色々なものを奢ってくれ、釣った魚も逃がしてやるような、やさしいひとでした。上田さんとは幼稚園から一緒でしたから、ぼくはなるべく内緒で、隔週ごとに遊んでいました。
 なんでも、上田さんが、新しく発見したという、釣り場にその日は行きました。途中で上田さんが、今日は暑いね、とぼくが言うと、百円もするカップアイスを奢ってくれたのを、どうしてか、よく覚えています。新しい釣り場は、先週とはまったく違う支流の、かなり下流にありました。見える魚は釣れない、というのが上田さんの金言でしたから、そこには当然、泳いでいる魚は見あたらず、流れも淀んだような場所でしたが、とてもよく釣れました。
 ぼくが、突然怖くなったのは、上田さんがおしっこをするといって、藪のなかに行き、ひとりになったときでした。どこからともなく、あの犬の死骸のにおいがしたのです。川面を隅から隅まで見渡すと、ぼくはとても岩の上などに座っていられず、立ち上がって、藪のなかを、歩き回ったのですが、どこにも死骸はありませんでした。上田さんが戻ってくると、すぐに臭いは消えてしまいました。
 次にその臭いを感じたのは、次にぼくが小便をしに行っているときで、怖くなって駆け足で戻り、釣り竿を上げていた上田さんに話すと、上田さんは手に持っていた練り餌を、ちいさく丸め、照れ臭そうに、それをぼくの鼻先に持ってきて、これじゃない? と言いましたが、それは、まるで違う臭いでした。
 その夜は、寝ようとしても、うまく眠れません。何度も寝返りを打ち、怖くてトイレにも行けず、うとうとしかけた頃に、お勝手の冷蔵庫が低いうなり声をあげるので、無性に腹が立ちました。網戸越しに空を見たとき、また突然、恐ろしくなって、口のなかで糸を引くような、皮膚の上を這うような、あのにおいが蘇ってきました。真っ白い月が、低い唸り声をあげ、こちらを見ているような気がしました。眼を閉じるたびに浮かぶ犬の死骸は、豚のように膨れ、熟れた桃のように、太股や脇腹が捲れていました。剥き出しになった歯茎は色もなく、牙だけが鋭く、黄色く濁っていました。眼の周りは落ち窪んで、耳の下から白い頭蓋が見えました。死骸はすさまじいにおいがしていたのです。翌朝、生まれてはじめて、ぼくは朝食になにも手を付けませんでした。
 上田さんは、その後も一週間おきにぼくを誘ってきたのですが、ぼくはそのたびに無視をしました。まったく無視をしました。どうしてか無性に腹が立つのです。人なつっこい笑顔で、話しかけてくるたび、腹が立つのです。みんなと話しているのを見ると、余計に、腹が立ちます。思い出してみれば、練り餌をひとの鼻に近づけ、これじゃない? などというのは、失礼極まりなく、馬鹿にされたような気がしました。そもそも、なんで、照れ臭そうに、ちいさく丸めるのか、まったく訳もわかりません。幾ら無視をしても、笑顔で誘ってくる上田さんが、ぼくは憎らしくて、靴箱に画鋲や、生きたザリガニを入れたり、上田さんが大嫌いと言っていた大藪くんのことを、上田さんが好きだとふれまわったりもしました。ですが、上田さんは、すこしも懲りた様子もなく、三年生になってクラスが替わるまで、笑顔で、ぼくのことを誘ってきました。
 上田さんの笑顔は、先日思い出せませんでした。特に笑っていなかったからです。色々と他にも謝りたいことが、あるような気もしますが、上田さんのことは、この辺で終わりにしたいと思います。

(了)