華麗に感傷的な平日 

 ねえ、あのさ、近くにイタリア料理できたんだけど。というので、こちらから誘った。携帯電話の向こうで、長い沈黙があった。明け方近くで、新聞配達の音が聴こえて、雨が降っていた。
 翌日、本屋で待ち合わせをして、店に向かった。ぼくの方がより待たせたが、互いにすこし遅れて来たらしい。道が混んでいたわけではなく、ぼくの方は、ただ待つのが、煩わしく感じられた。どうしてか、自分が待っている姿を見られたくなかった。会うのは一年半ぶりで、そのあいだ連絡もなかった。
 どこも変わっていない。そうなぜか思い込んで来たのだけれど、少し違って、戸惑った。「痩せた?」と尋ねると、曖昧に返事をされた。ちょっと太って、すこし痩せたけど、いわれるとそうかも知れない、といわれた。曖昧な返事の仕方は以前と変わりなかった。
 店はコインランドリーだった場所にあった。蒲団を二三度洗いに来たことがあって、たしか毎回なにかの雑誌をぼくが忘れた。いまは建物も違って、駐車場も変わっていた。駐車スペースが以前より狭くなって、建物はそのまま高くなって、屋根が三角形になっていた。コインランドリーはどこかコンビニに似ていたけれど、いまのイタリア料理店は、デコレーションに似ていた。おおきな窓ガラスがなくなって、ポーチがあった。木製の扉を開けると、彼女が先に入って、ぼくが後ろを歩いた。微かに大蒜とパンのにおいがして、席に案内されると、JAZZが聴こえた。
 料理はひどくまずかった。それもいけなかったし、稚拙な接客も、いま思うと、まずかった。すぐに気まずくなった。メニューはひとつしか渡されなかったし、なかなか飲み物も尋ねられなかった。ワインの名前を店員に繰り返しているとき、隣の中年夫婦と目があった。夫婦は着飾っていて、店員がいなくなり、男の方ともういちど眼が合うと、突然、どうしてかお追従的な言葉を口にしたくなった。
 久しくお追従の言葉など口にしていない。誰かを褒めたり、誰かをおだてたり、ねぎらったこともなかった。つまり他人を肯定できないってことでしょ。そういわれてしまうのが怖くて、ぼくは口を閉じ眼を閉じた。
 白身魚カルパッチョを食べながら、話しをした。お互いのことを迂回するように、話しをした。実家の飼い犬が死んだ、そういえば紀子さまが懐妊した、互いの友だちの近況についてすこし話した。ナイフはよく切れて、テーブルクロスにはシミがなかった。眼を合わさずに、相手の皿ばかり見ていた。店員が無言のままやってきて、皿を下げていったので、「ほんとひどい店だな」というと、気分を害したようで、彼女はしばらく無口になった。
 二皿目の温野菜のマリネが出てきたので、互いに無言で食べた。白いアスパラガスとブロコッリーとにんじん、それにアイオリソースをかけたもので、皿の上で砂糖菓子のように崩れかけていた。明らかに茹ですぎだった。
 ワインが出てきたのは、思い出したようにパンがサーブされたあとだった。パンは冷たく、バターはついていなかったけれど、ワインは美味かった。銘柄は見たことのないものだった。皿を下げられてから、グラスをもう少し薄手のおおきめなものにした方がいいとぼくはいった。彼女も同意したようで、グラスの縁を指先で拭いながら、頷いた。
 ボトルがあきかけた頃には、互いに、もう少しおしゃれしてくればよかった、と笑いながら話すようになった。コーヒーとカプチーノを頼み、会計を済ませようと店員を呼ぶと、「おごるよ」といわれた。唐突にいわれた。うつむいてハンドバッグバックの留め金をはずしながら、どこか慌てたように、照れたようにいわれた。言いかけていた言葉を飲み込み、ぼくは財布をしまった。先に外に出ている、といった。
 駐車場に出ると降っていた雪が積もりかけていた。アスファルトが斑模様になっていた。正面を行き交う車を見ながら、ぼくは昔のことを思い出した。随分昔のことのように感じれられて、年を取るとは、云々、とほんとうの年寄りのようなことを思った。昔のことは感傷的になるから、あまり好きではない。けれども思い出した。できるなら、もう少し冷たくありたい、すべてに。ぼくはそう思いながらタクシーを待った。
 雪、と景色。
 思い出したこととは別に、例えばこんなことがあった。一年間休まずスポーツジムに通った。正月の三ヶ日以外、ぼくは毎日通った。知り合いばかりのジムで、インストラクターと知り合いだった。そこから鎖のように輪が広がっていった。多分、寂しかったのもあった、当時の彼女とひどい別れ方をして、相手はいちばん仲の良い友だちだった。
 はじめは会えば喋る程度だったけれど、そのうち終わってから飲みに行くようになった。軽くどこかのバーに寄ることもあったし、キャバクラやそのひとの家にお邪魔することもあった。五十近くのひとから、ぼくよりもむっつ年上の院生もいた。総じて十人くらいはいたのだけれど、みんなで出掛けたことは一度もなかった。目に見えない派閥、もっと穏やかにいえば相性のようなものがあった。それは、そこだけではなく、どこにでもあった。
 誰かと飲むたび、誰かが誰かの悪口を口にしていた。いけ好かないのなら、見ないようにすればいい、とぼくは思った、けれども、そういう相手ほどなにかがよく見えてしまうものらしい。一緒にいて、ぼくが気付かなかったことや、他の誰も知りそうにない、当人の込み入った家庭環境までをも知っているひともいた。ぼくは誰とでも出かけて、多分誰からもよく誘われた。たまに口が重なることもあったけれど、ぼくはそのどちらにも顔を出していた。途中で切り上げ、途中から参加をしていた。そうか、がんばれよ。と見送られ、おう、随分遅くまでつかまってたな。と歓迎された。おおくのワインの味を覚えて、おおくのブランデーの空き瓶を目にした。
 風邪で体調を崩した日もあったし、飲み過ぎてラベルや酒瓶を見ただけで吐き気を催した日もあったけれど、ぼくはジムに通い続けていた。ジムに行けば、また誰かから誘われ、また酒を飲んで、また誰かの陰口を聞いた。ジムに通い、ぼくは徐々に太った。
 ぼくには落ち着いて寝ていることや、二日酔いだからといって、誘いを無下にすることは出来なかった。悶々と布団から起きあがってジャージに着替え、手洗いで吐いてから、ジムに通った。なにかしらの形で、ぼくは必ずそこにいなければならない。
 自分の居ない景色が、どうしてあんなにぼくを不安にしたのだろうか。どこか気持ちが塞ぎ込むような、それでいて無理にでも駆けつけなければならない、切なくて、遣り切れなくて、コントロール不能になった。
 雪、と景色。
 雪は積もるかも知れないし、積もらないかも知れない、と思った。タクシーに乗った。いまはもう大丈夫だ。とても静かに、見知った場所に、ゆっくりと降り積もっていく雪のように、それらは見えるから。窓の外の景色のようなものとして、いまはそれらが見れる。とても冷静に見れるから、いまはもう大丈夫だ。携帯電話が鳴ったが、そっと電源を切った。ジム通いをやめたのは引っ越してからで、感傷もドラマもない引っ越しだった。後ろのワイパーが動いた。