ファッションとパッション

 夢中になって、おしゃれをすることはとても恥ずかしい。ぼくがそう思っていたのは中学二年生の頃で、そのころの休日といえば、学校近くのバス停で待ち合わせをして、それから誰それが履いてきた靴を褒めたり、誰それが被ってきた野球チームのロゴが入っていない帽子を羨ましがったあと、坂の上からやってきたバスに乗って、街に出掛けることからはじまっていた。朝九時半くらいで、街に着けばちょうどあらゆるお店が開いたばかりという時間だった。いつでもぼくら以外、あまりひとはいなかった。目的はその週によって違うものの、大抵服を置いてある店からまわっていく。誰それが着てきたトレーナーがちょっとイカスとか、シャツにかけたサングラスがハマショウみたいでナウイとか、ジーンズの折り目がほどよくほぐれているとかといって、それが置いてある店にまず行ってみることにバスの中で決まるのだ。(ちなみに”イカス”とか”ナウイ”とか”ハマショウ”という言葉は、いまでいうと”クール”だとか”犬の糞みたいに最高”だとかいう言葉になる)
 ぼくはほとんどバスの中では外を見ていた。バスはいつでも決まったところを通るので、景色は着慣れた制服とか履き慣れた上靴のように馴染んでいたのだけれど、それを見ているとどこかしっくりとのんびりとしたものを感じるものの、単にみんなの話しにぼくが入りがたかっただけだった。
 いつでも古びた服装をしているぼくは、誰かが値札付きのシャツを首から下にあてがったり、試着室のまわりでおんなの子のように色めき立っているときにも、感想を口にしなかった。小学生から変わらない服装をしているぼくが、その輪の中に参加するのは烏滸がましいような気がしていたので、誰かが笑うと一緒に笑ったり、テレビや音楽や映画の話しが出るときにだけ、口を開いていた。もちろん家の事情からぼくがそのような格好をしていたわけではなかった。
 店に行くと周りからハンガーに掛けてある服をすすめられることもあったけれど、ぼくはなにかの委員に自分の名前が推挙されてしまったときのようにそわそわとしながら、妙に上擦った声で、このままでいいから、とか、これが好きだからとかと返事をしていた。推挙される委員は書記と美化委員が多かった。
 特におしゃれに興味がなかったというわけではなく、なんとなく、あからさまに過ぎるような気がしたのだった。あからさまといっても、なんに対してなのかよくわかっていなかったから、わざとらしいとでもいった方がいいかも知れない。なにかに媚びているような感じがして、自分というものがどこかに迷い込んでしまうような気さえするのだった。
 夢中になっておしゃれをすることは、とても恥ずかしいことだとぼくは思った。ぼくが望んでいたのは、できるだけ自然に、自分の服装の変化を誰にも悟られないように変身をすることで、自分だけ古びた格好で目立つことがないように、いつのまにか周囲とおなじ格好をしているということだった。他人に自分の変化を指摘されたり、それを信条の変化だと間違った揶揄をされたときのことを考えると(ぼくが服装を変えないのは信条、いわゆるポリシーからではなかった)、気恥ずかしさや強く弁解をしたくなるような気持ちがこみ上げてきて、ひどく尖った物を突きつけられたように、身体が強張ってしまった。
 試しに、中学生にしてはちょっとおとなびているかもしれないよ。といわれたものの、薄茶色のスラックスを母親と松坂屋に出掛けたときに買ってもらった。みんなとおなじように、休日にそれを履いていこうとしたのだけれど、自室の鏡の前に立ち、片手を腰に宛がったり、眉をしかめてみたり、背中を向いたまま後ろを振り返ったり、ゆっくりと自分の部屋のなかで回転をしていると、どこからか冷たい風が吹いてくるような感じがして、それを着ていこうという決意は、毎回どこかに押し戻されてしまった。中学生にしては落ち着きすぎているかも知れないけれど、それだからなんとなく好感がもたれるかも知れない。という根拠のない思いや、ひょっとしたら自分はこういうおとなびた格好の方が似合うのではないかという、ちょっとした自惚れが、「ぜんぜん似合わねえ」とか、「なにそれ? だれの真似」とか、「ねえ、ねえ。あの子見て」などと誰かも知れない声と笑い声によって打ち消されてしまうのだった。それを履いてみんなの前にいくことは、ぼくにはとても恐ろしく思えた。
 そう思うと、鏡の中のいままでそれほど悪くはないと思っていた姿が、貧相で惨めに見えて、実際には膨らんではいないのに、スラックスが風船のようにどんどんと膨らんでいって、ぼく自信はカメレオンとかカマキリのように部屋の壁と同化してしまったようになってしまうのだった。七五三のとき変な着物を着せられたときのように、洋服に自分が着せられているように思えるのだった。
 実際ぼくはどこからか取り残されていくのを自覚していたけれど、取り残されればされるほど、距離は開きはじめていって、それを埋めることは困難になっていった。なぜならそれに追いつくには、より目立った、すぐにそれとわかる変化が必要になるからだった。
 結局ぼくは中学時代おしゃれをすることを断念した。ぼくが人並みの私服で出掛けるようになったのは、バスに乗って出掛けていた、それぞれが散り散りになって、あまり再会することもなくなった、高校に入学してからだったけれど、おしゃれをすることは、なにかに媚びたり、誰かを惹きつけるためだけにするのではなくて、自分自身が恥をかかないようにするためだとぼくが気付いたのは、それからまだだいぶあとのことだった。結局スラックスは、すぐに短くなってしまい、親戚の家に行くときに一度履いたきりだったが、履いたときの質感や、ふとももが涼しくなったような感じや、袋から出したキャラメルのような色をいまでもよくおぼえている。