メルヴィルのうさんくささと過剰/『避雷針売り』(その2)

 その1で極端折って避雷針売りの展開を書いたのだけれど、最後わたしは避雷針売りを家から追い出す。つまり避雷針を買うこともなく、家にも立てずに、避雷針売りはわたしの家から出て行く。日本の原稿用紙にすれば恐らく僅か三枚か四枚程度のなかでそれが描かれている。この小説はこの部分がある故、傑作なのではないかとぼくは思う。単に追い出される、追い出す。若しくは買う、買わされるという──擬似的であれ──主従関係から、最後互いに抜け出していくことになる。言い方を変えれば単純な対立項的な関係では、この小説をメルヴェイルは終わらせなかった。まさしく非凡な小説なのだった。
 胡散臭い避雷針売りは言う。
「さあ、ところで、わたしの避雷針を注文しません? いまならたった二十ドル。一フィートにつき一ドルです。あなたの名前を避雷針に書き記すことだってできますよ。さあ、小屋のなかで焼け焦げた屑肉の推積になってしまうことを考えなさいな」 
 これに対してわたしは言う。

「鳴り響くジュピターの特派全権使節気取りですな」とわたしは言って笑った。「土と空の間にちっぽけに立ちはだかって、パイプの軸をおっ立てにここに来た単なる人間のあなたは、ライデン瓶からちょっぴり緑の光が出せるからといって、天来の電火を完全にそらすことができるなんて思うのですか?

 対象がこの場面において、一気に──文字通り──天空へと向かう。<<土と空の間にちっぽけに立ちはだかって、パイプの軸をおっ立てにここに来た単なる人間である避雷針売りと、わたし。の喜劇的な話し>>から、不可視的なものへの賛美へと向うのである。

──免罪符売りのテツェルよろしく、神の定めを免れる護符を売り歩く権限を誰があなたへ与えたんです? わたしらの髪の毛の数も寿命も定まっているんです。晴れていても雷雨の中でも、わたしは神の御手にまかせきって寛いでいるんです。不実な売りこみ屋、消え失せろ! 見ろ、雷雨の巻物は巻き戻されて、この家は無事だ。青空に立つ虹に読み取れる、天帝はことさらに、人間の土地を攻撃し給わぬ、と」
「不敬な奴!」見知らぬ男は泡を吹いて叫んだ、虹が輝きだすと顔をどす黒くして、「あんたの異端の考えを触れ回るぞ!」
「立ち去れ! すばやく! すばやく動けるならば、じめじめした時に、ミミズみたいにぬめぬめ光り現われる奴!」

避雷針売りは手にしていた避雷針(三叉と書いている)でわたしの心臓に向けて襲いかかる。しかし、

わたしは棒を掴み、折り、投げつけ、踏みにじり、黒ずんだ電火王(避雷針売り)を戸口から引き摺りだし、ひん曲がった銅の王杓を後から投げつけた。

 さて、ぼくはこの一連の展開から神話を想起し、雨が上がり虹が出るというくだりの辺りで、プラトンの天空高くへと舞い上がっていくペガサス──地場(磁場、若しくはここでは家<なにしろ舞台はずっと家のしかも一室なのだ>)を逃れた浮遊感さえ感じるのだけれど、この小説は単なる神や自然に対しての礼賛を描いた小説ではないのだった。それゆえ、しつこいようだけれど傑作なのだとぼくは思うのだ。避雷針を投げつけたわたしから、小説は以下の最後の一文へ続く。

だがそんなにもひどくあしらはれ、わたしが近くのものたちに、相手にせぬがいいと言ったにも拘らず、その避雷針売りはなおもこの地に住んで、荒模様のときに出歩き、人間の恐れを種に立派に商いをやっている。<了>

なんと寂しい結末なのだろう。天空は幻しだった。異端であるわたしは異端のままであり、土と空の間にちっぽけに立ちはだかって、パイプの軸をおっ立てる避雷針売りは、ちっぽけな存在のまま、わたしの近くで商いを続けているのだった。わたしは元々近くのものたちの土地に住み、そして避雷針売りもこの地に住むことにより、ふたりともが最早誰でもなく、近くのものたちという相対のなかに紛れ込んでしまうのだ。避雷針売りが避雷針売りとしてそこから抜け出すのは、天空が荒れ模様のときだけであり、異端であるわたしはそれを阻止することさえできないのだ。わたしの天空はどこにあるのだろう。*1
蛇足>その1の()の部分に関して
通常雷は雲から地へ、それが地から雲へと反転した行為を持つと避雷針売りから聞いた為、「わたし」は単純に、自分の場所と、避雷針売りの男が立った場所とを反転させてしまったのだろうか? つまり安全な場所と危険な場所まで入れ替えてしまったのだろうか。それはともかく、それよりもポイントは、この間違い、つまりわたしの反論を避雷針売りが言い質さないことなのだとぼくは思う。つまり避雷針売りのすべての言説はコミュケーション後に発声する信憑性という問題以上に、既に言葉を持っている側に存在しているのではないだろうか? 簡単に言うと避雷針売りは自分の言っていることが、自分でなんなのか内容までよく理解していないのではないだろうか? そしてそれがなによりのこの小説内の避雷針売りのうさんくささの種なのだろう。<特に赤線部分>(この部分に対してはその3へ続くかも))


もうすこしうさんくささと過剰についての妄想を書こうと思ったら、最後だけでかなりの分量になってしまった……。(その3へ多分こんど続く……かも知れない、いや、わからん) ということで一端<了>

*1:ここには他にも、住み着いたいかがわしい避雷針売りが、この地で商いを続けていけるということで、そのまま避雷針売りに向けていた忌避が、そのまま近くのものたちに移行化されているのではないか。この地に元から住んでいた”わたし”は、元から孤独の異端者だったのかも知れない。