小説探求

 小説のおもしろさといっても、多種多様でそれこそ数限りなく、受容する側によっても、ツボみたいな場所は変わってくるとおもうのだけれど。もの凄くミクロなことに絞って、ものごっつく自分勝手にテクニカルな要点となんとなく文章を書くときに実用できそうな範囲で考えてみる。要するに、ぼく自身が萌える小説の一文について、ねちねちと考えてみたいという試みである。

 その1 接続と接続不良とショートと転倒

 Ⅰ 繋がりがもたらす広がり

六、七年前のこと、私はT県下の或る郡内の、ベロークーロフという若い地主の領地で暮らしていたが、この地主は非常に早起きで、いつも袖無し外套を着て歩き回り、毎晩ビールを飲み、自分はどこのだれとも心を通わせ合うことができないと、しょっちゅう私にこぼすのだった。

チェーホフ『中二階のある家』より  ISBN:4102065032

 中二階のある家の冒頭部分なのだが、文を重ねることにより、地主のイメージがどんどん広がっていく。そう書いてみると、それほど珍しくもない手法なのだけれど、道具同士の繋がりと、なによりその選択による、ユーモアのセンス。どうでしょう?
 若い地主はなぜか非常に早起きで、わざわざ袖のないコートを着込んで歩き回り、ビールを飲んでは、「自分はどこのだれとも心を通わせ合うことができない」と、毎晩間借り人である私にこぼすのです。
 変な地主(笑)
 ちなみに本文続きだと、新たにこの地主はわざわざ離れに住み、客人である私が母屋の方に住んでいることがわかります。おまけにその部屋は円柱が並ぶ大きな広間で、けれどもそこにはベッド代りの長椅子と、トランプ占いをするテーブルしか家具はないのです。
 変な地主(笑)、そして、どうやら単に変ではなく、地主は厭世的ということがわかってくるわけです。
 もうこればっかりはセンスの問題なのだと、この部分を読むとぼくはしみじみとチェーホフのユーモアの才能に感服してしまうわけです。いかに変な道具立てが出てこようと、いっこうに説明もなく、世を捨てたように地主は生きていると、理解できるところまで進んでいくのが、またぼくにはぐっとくるのです。

小田原に住んでいる大学で一年先輩だった真紀さんに電話をかけてみた。真紀さんのことはずっと忘れていたのだが、ここまで来る途中、大磯駅の屋根のないプラットフォームを見ていたときに急に真紀さんが小田原に住んでいるのを思い出したのだった。

保坂和志『この人の閾』より  ISBN:4101449228

 この人の閾の冒頭後半部分。主人公のぼくは小田原に着いたはいいが、約束の時間になっても待ち合わせ相手である小島さんがやってこない。電話を掛けて確認すると、小島さんは約束を忘れて出掛けてしまっているらしい。そこで、小田原に住んでいる真紀さんのことを来る途中に思い出していたので、電話を掛けてみることにした。という部分の引用です。
 なにがぼくにとっておもしろいのか。大磯駅の屋根のないプラットフォームを見ていたときに真紀さんのことを思い出したという部分。大学の先輩である真紀さんという人物と、屋根のないプラットフォーム。互いに接続不良を起こしているようで、その実、どこかで繋がりがあるのかも知れないというものをほのめかす、ただのユーモアだけではなく、このなにかしらのニュアンスがただよっている一文にぼくは萌えるのです。ほんのちいさな知的というにはおぼろげな好奇心を含有しているこの一文にぼくはくすぐられてしまう。
 屋根のないということから、真紀さんはおおっぴらな性格であるということの繋がりがあるのかも知れないとぼくは考え、単に大磯という地名からなにかしらの連想を主人公であるぼくが得たのかも知れないとぼくは考えてみたりするわけです。*1
 でも実は主人公であるぼくもわかっていないというオチが既にこの一文のなかで書かないことにより明示されてしまっているのです。けれどもそれでもぼくはどうしてか考えてしまう。その考えてしまう、つまり考えさせてしまうという文章作用が、保坂和志の小説のうまさであると同時に、なにも起きないようでいて、奇妙な広がりを感じることの秘密でもあり、やはり小説家としてのうまさであると、ぼくはしみじみ思うのです。*2

桜の樹の下には屍体が埋まっている!

梶井基次郎桜の樹の下には』より  ISBN:4101096015

 あまりにも有名な書き出しですが、次の一文はこうです。
 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなに見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかし、いまやっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
 桜の樹の下と、屍体。そこに横たわる溝。その暗がりの正体は”俺自身”にあるわけです。ちなみに檸檬でも同種の倒錯が見られます。
 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 いけないのはその不吉な塊の方なのです!

イェフーディ師匠が俺を選んだのは、俺が誰よりも小さくて、汚くて、みじめったらしかったからだ。「人間の形をしたゼロだ」と。それが師匠が俺に向けて言った最初の言葉だった。あの晩から六十八年が過ぎたが、師匠の口からその言葉が出てくるのが、いまも聞こえる気がする。「おまえはけだもの同然だ。いまのままでいたら冬が終わる前に死んでしまう。私と一緒に来たら、空を飛べるようにしてやるぞ」

ポールオースター『ミスターヴァーティゴ』より  ISBN:4105217070

さて最後にオースター。いかがでしょう? 特に言及はしません。決して疲れたり飽きたりしたわけではありません。

*1:それは実際に考えるというほどのものでもなく、ごくごく微少の思考の欠片程度におそらく行われている筈

*2:保坂和志についてはいずれ書いてみたいと思っています。