──追記──

いや、すぐに気が付いたけれど『宗教家を描いた小説であるか、宗教家が描いた小説であるかの違い』というのは、そんなはっきりとしたものではなく、極論してしまうと、結局は個人の嗜好の問題になってしまいそうだけれど、敢えて踏みとどまって考え続けて、いかにすれば、自分の書いたものが、よりおおくの人間に小説として成り立つのか、つまりは小説として届くのかという意識を持ち続けていなければ、ならない逆に言うと小説家であるための条件なのだろう。